2024年、世界は収拾がつかなくなっている【佐藤健志】
佐藤健志の「令和の真相」50
◆「何でもあり」がもたらすもの
21世紀の世界では、首尾一貫した現実認識を解体、「何でもあり」の状態をつくりあげることで、物事を思い通りにしようとする傾向が見られる。
けれども、思い通りにならないことこそ現実の本質的特徴。
おまけに現実認識を解体してしまえば、「何が現実なのか」という根本の点まで分からなくなる。
「これが現実だ」と断定するには、「現実」と「現実ではないもの」との間に線を引く必要がありますが、「何でもあり」の状態のもとでは、くだんの線引きができません。
現実認識の解体は、現実の解体とイコールなのです。
裏を返せば、物事が思い通りになっているのかどうかも、本当のところ分からない。
いや、そもそも自分が何を思い通りにしようとしているのかという点すら分からなくなってくるのです。
「すべてが思い通りになるはずなのに、すべてが思い通りにならない」という、どうにもならない苛立ちが高まるのみ。
こうして現実認識の解体した社会は、遅かれ早かれ、以下のような顛末をたどることになります。
(1)現実そのものが解体され、「何でもあり」になるせいで退廃に陥る。
(2)「すべてが思い通りになるはずなのに、すべてが思い通りにならない」という矛盾と苛立ちから、理性的判断に支障をきたす。
(3)上記二点の論理的な帰結として、収拾がつかなくなる。
「ワグネル反乱と『現実の解体』」(令和の真相49)で、私は上述のメカニズムが、世界的に進行しつつあると論じました。
現実が解体されたこのご時世、「ワグネル反乱って何だっけ?」という方も少なくないと思いますが、一年あまりを経て、世界はいよいよ収拾がつかなくなっているように思われます。